シラセ@ブログ

元博士課程大学院生、今は新米社会人です。自立した研究者への転身を目指しています。大学院生の頃のことや、日々の生活で調べて見たこと・考えたことを書いていきます。


大学院進学の理由はひとそれぞれ

今日はものすごく自分語り記事です。

後輩に進学相談をされたときにはほぼ必ずされる質問、それは「なぜドクター行ったんですか?」というものです。 自分の場合は博士進学時に研究分野も変えているので、「分野を変えてまでなぜ進学したのですか?」と言われます。

今更ではありますが、この答えを文章にしておこうと思います。

表向きの答え

まず第一にあげられる理由は、自分で物事を調べていく作業が楽しかったというのがあります。とはいえ、自分の場合は「研究」が好きだったのか、それとも「勉強」が好きだったのかは今でもよくわかっていません。

博士課程は、自分でテーマを設定して研究できるようになるための練習期間といわれます。
しかし、未知のこと、かつ自分で解決可能な問題を探すとなると、「まず昔から温めてきた大きな疑問があった上でのテーマ設定」はなかなか難しく、それよりはむしろ「色々と教科書なり文献を読んで勉強した結果、その細部に疑問を持ち、自ら検証した」という形で研究を進めることになりました。 この時の文献の調査結果が、論文のIntroductionの項にそのままなってくれるわけです。
この時を振り返ると「勉強」フェーズがテーマ設定までの大半の時間を占めており、これを楽しんでやれるかどうかはそれなりに重要な気がします。

また、研究、もしくは勉強が好きとは言っても、やはり分野や手法によってあう合わないはあるようです。
自分は修士までやっていた学問分野はどうも肌に合わないと思ったので、途中で進路変更をしましたが、その後はものすごく集中して研究に取り組むことができました。 今やっている研究内容があっていない気がする、もしくはどれだけ努力してもうまく行く気がしない、というときは他の分野に行ってみるのも選択肢の一つとして考えれば良いのではないでしょうか。

実のところは・・・

正直にいえば、「名刺にPh.D.って書いてあるのはかっこいいじゃん!」というものです。 我ながら、単純すぎて驚きます(笑)

この理由に説得力はあまりないかもしれませんが、私が分野を変えてまで博士課程に進学したのはこのような動機があったからです。

このように思うようになったきっかけは、大学3年生の頃に何度か話を聞かせてもらった先生(教授)です。 その先生自身、博士課程進学時に全くの別分野に進み、学位を取られた先生です。 その先生に「これからはどんな職業に進もうとPh.D.の称号があるかないかで全然対応が変わる」という内容のことを言われました。

これについては、社会人になった今の時点での感想を述べると、今の日本ではまだ全然そんなことはなく、むしろ博士号などというものは厄介な存在であることも多いのが実情だと思います。

しかしながら、長い学生時代、上記の先生の言葉は、モチベーションを保つのに確かに効いていました。

自分のまわりは?

同期で飲み会などをした時、何度かこういう話をした覚えがあります。N数は多くありませんが、

  • 「単にその学問分野が好きだった」(←研究が好きだったのかどうかは知りません)

  • 「将来は自分の研究室を運営したいから」

  • 修士まで研究しているうちに、もうちょっと深めたくなった」

  • 「もう研究者の道しか考えていない」

などの意見を聞きました。皆さん私よりはきちんと考えているみたいです(笑)

最後に

上記にあげたような自分の知り合いは全員、結果はどうであれ進学そのものを後悔している人はいません。 進学の理由は人それぞれですし、その理由の良し悪しを他人に判断される筋合いもありません

進学したい、と思うならば、経済的な事情が許す限り、素直に進学すれば良いのではないでしょうか。